関西 中国地方の旅 11
11月21日 ② 石見銀山
船から下りて車に戻り松江を後にし 国道9号線をさらに西に向かって走り
今年9月に世界遺産に登録されたばかりの石見銀山へ
石見銀山地内へは観光車両は乗り入れ出来ないので
大森地区の駐車場に車を置き路線バスで現在唯一公開されている龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)へ
仙ノ山には約600の間歩跡があるといわれていますがここが現在唯一 一般公開されています(近々最大の大久保間歩が公開予定です)
間歩とは銀を採掘した坑道のことです
入場料400円を払い暗く細い坑道に入ると壁面には当時
鉱石を掘った鑿の跡がはっきり残っています
真っ暗で空気も悪く粉塵舞い散る劣悪な環境であった事は容易に察せられます
銀山で働く人たちの多くは鉱山病に罹り短命だったそうです そのため30 才を迎えると「尾頭付きの鯛」で祝ったとありました
実物の銀鉱石 重かった!!
足の弱い母が一緒だったのでほんの一部分をザットまわっただけなので
世界遺産としての価値がそれほど分りませんでしたが石見銀山が世界遺産に登録された根拠として
1.世界的に重要な経済・文化交流を生み出した
2.伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残す
3.銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示す
等の点が上げられています
(詳しくはhttp://www.iwamigin.jp/ohda/minasdeplata/ginzan/isan/value.htmlで知る事ができます)
見学後バスで駐車場まで戻りました
この一帯は大森銀山重要伝統的建造物群保存地区に指定されています
ここでは身分や職種による町割りがされておらず 武家の住宅と町屋が混在しています
現在資料館となっているこの建物は 明治35年に建てられた邇摩郡役所です
ここには江戸時代銀山料の支配の拠点である代官所が建っていて
代官所跡は国の史跡に指定されています
古民家を再生して銀アクセサリーを作って売っている店があったので
銀山土産にシルバーのイヤリングとリングを買い求めました
今回は急ぎ旅でしたがいつか銀の積出港として賑わった温泉津(ユノツ)温泉地区等にも
足を延ばしゆっくり歩き回ってみたいものです
石見銀山を後にして さらに日本海岸沿いに西に走り今夜の宿荒磯温泉の荒磯館へ
この温泉 すごーくよかた!! のですが次回に
船から下りて車に戻り松江を後にし 国道9号線をさらに西に向かって走り
今年9月に世界遺産に登録されたばかりの石見銀山へ
石見銀山地内へは観光車両は乗り入れ出来ないので
大森地区の駐車場に車を置き路線バスで現在唯一公開されている龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)へ
仙ノ山には約600の間歩跡があるといわれていますがここが現在唯一 一般公開されています(近々最大の大久保間歩が公開予定です)
間歩とは銀を採掘した坑道のことです
入場料400円を払い暗く細い坑道に入ると壁面には当時
鉱石を掘った鑿の跡がはっきり残っています
真っ暗で空気も悪く粉塵舞い散る劣悪な環境であった事は容易に察せられます
銀山で働く人たちの多くは鉱山病に罹り短命だったそうです そのため30 才を迎えると「尾頭付きの鯛」で祝ったとありました
実物の銀鉱石 重かった!!
足の弱い母が一緒だったのでほんの一部分をザットまわっただけなので
世界遺産としての価値がそれほど分りませんでしたが石見銀山が世界遺産に登録された根拠として
1.世界的に重要な経済・文化交流を生み出した
2.伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残す
3.銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示す
等の点が上げられています
(詳しくはhttp://www.iwamigin.jp/ohda/minasdeplata/ginzan/isan/value.htmlで知る事ができます)
見学後バスで駐車場まで戻りました
この一帯は大森銀山重要伝統的建造物群保存地区に指定されています
ここでは身分や職種による町割りがされておらず 武家の住宅と町屋が混在しています
現在資料館となっているこの建物は 明治35年に建てられた邇摩郡役所です
ここには江戸時代銀山料の支配の拠点である代官所が建っていて
代官所跡は国の史跡に指定されています
古民家を再生して銀アクセサリーを作って売っている店があったので
銀山土産にシルバーのイヤリングとリングを買い求めました
今回は急ぎ旅でしたがいつか銀の積出港として賑わった温泉津(ユノツ)温泉地区等にも
足を延ばしゆっくり歩き回ってみたいものです
石見銀山を後にして さらに日本海岸沿いに西に走り今夜の宿荒磯温泉の荒磯館へ
この温泉 すごーくよかた!! のですが次回に
by sakurasou21
| 2007-12-25 00:09
| 旅
|
Comments(0)