北東北の旅 2
9月4日
せっかくここまで来たのだからと近くの尾去沢鉱山跡へ
尾去沢鉱山の発見は、奈良時代の和銅元年(708年)であると伝えられています
金や銅を産出していましたが 昭和53年1270年にわたる長い鉱山の歴史に幕を閉じました
(ホームページより)
国内最大級の選鉱場跡
煙突の高さは60mで土木遺産に認定されています
坑道入り口 中を見学できます
再び東北自動車道で北上 弘前城へと向かいました
行ってみると天守は石垣から外され横に置かれています!!
奥に岩木山が望めます
弘前城本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」がみられ修理することになりましたが
石垣修理は天守の真下も行われるため 天守を移動する必要があります
それで高さ14.4メートル、総重量約400トンの3層からなる天守が、約3か月かけてここに移動されました
その様子はNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」弘前城天守曳屋(ひきや)で放映されました
曳家は、室町時代以前から続く伝統技術
一軒家から神社仏閣まで 様々な建物をあるがままの形で移動させることができます
元の姿に戻るのは「天守を曳き戻すまでに約5年、全体では約10年かかる見込み」とのことです
弘前公園の一角にある護国神社は箱舘戦争の戦没者慰霊のため1870年(明治3年)に創建され
ちょうど舞が奉納されていました
車に戻って今度は東北自動車道から青森自動車道 みちのく有料自動車道を通りさらに地道で野辺地へ
さらに野辺地から下北半島の左側をひたすら走り恐山へ
着いたのは4時半 中まで入る時間はなかったので外から覗いただけですが 天気も怪しく薄暗く怪しげな雰囲気
暗くならないうちにと今夜の宿馬門温泉へと急ぎます
檜のかおる温泉につかり地元野辺地の採れたてホタテ 陸奥湾産の新鮮な魚介類を頂きました
(郷土料理いちご煮 ウニとアワビがいっぱい)
5日
今日も乗物に乗って移動の1日
ホテルを出て青森港へ向かい12時のフェリー「ブルーマーメイド」で函館へ
家には明るいうちに着きました
今回は足の悪い母を伴っての旅で 歩いて見学することはできませんでしたが
ゆっくりおしゃべりしながら和気あいあいの楽しい旅でした
せっかくここまで来たのだからと近くの尾去沢鉱山跡へ
尾去沢鉱山の発見は、奈良時代の和銅元年(708年)であると伝えられています
金や銅を産出していましたが 昭和53年1270年にわたる長い鉱山の歴史に幕を閉じました
(ホームページより)
国内最大級の選鉱場跡
煙突の高さは60mで土木遺産に認定されています
坑道入り口 中を見学できます
再び東北自動車道で北上 弘前城へと向かいました
行ってみると天守は石垣から外され横に置かれています!!
奥に岩木山が望めます
弘前城本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」がみられ修理することになりましたが
石垣修理は天守の真下も行われるため 天守を移動する必要があります
それで高さ14.4メートル、総重量約400トンの3層からなる天守が、約3か月かけてここに移動されました
その様子はNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」弘前城天守曳屋(ひきや)で放映されました
曳家は、室町時代以前から続く伝統技術
一軒家から神社仏閣まで 様々な建物をあるがままの形で移動させることができます
元の姿に戻るのは「天守を曳き戻すまでに約5年、全体では約10年かかる見込み」とのことです
弘前公園の一角にある護国神社は箱舘戦争の戦没者慰霊のため1870年(明治3年)に創建され
ちょうど舞が奉納されていました
車に戻って今度は東北自動車道から青森自動車道 みちのく有料自動車道を通りさらに地道で野辺地へ
さらに野辺地から下北半島の左側をひたすら走り恐山へ
着いたのは4時半 中まで入る時間はなかったので外から覗いただけですが 天気も怪しく薄暗く怪しげな雰囲気
暗くならないうちにと今夜の宿馬門温泉へと急ぎます
檜のかおる温泉につかり地元野辺地の採れたてホタテ 陸奥湾産の新鮮な魚介類を頂きました
(郷土料理いちご煮 ウニとアワビがいっぱい)
5日
今日も乗物に乗って移動の1日
ホテルを出て青森港へ向かい12時のフェリー「ブルーマーメイド」で函館へ
家には明るいうちに着きました
今回は足の悪い母を伴っての旅で 歩いて見学することはできませんでしたが
ゆっくりおしゃべりしながら和気あいあいの楽しい旅でした
by sakurasou21
| 2016-09-06 09:32
| 旅
|
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